明智光秀近江出身説
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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by bluejaysさん(男性)
湖東三山・多賀・東近江 クチコミ:1件
「淡海温故録」には、明智光秀の2・3代前が主君の土岐成頼に背き、美濃を出て六角高頼を頼り近江の佐目に移住したと記録されている。佐目には光秀の屋敷跡と伝わる土地があり、近江出身説がにわかに注目されるようになった。同書では謀反の理由を、武田に内通したのが発覚したからだとしている。
十二相神社前の空き地に、おもむろに看板や幟が建てられていて、休憩所もあり、遠くからでもすぐわかる。廃止されたバス路線の代行で、多賀町が予約制の「愛のりタクシー」を運行しているが、いつまであるかはわからない。かつてあったバス停で乗り降りできるが、バス停がなくなっている場所があるので注意。この場所に行くには、南彦根駅から乗り「上佐目」バス停を降りてすぐだ。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 上佐目バス停すぐ
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 人はいない
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/02/25
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