里芋が供えてありました
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- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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by ぷーちゃんさん(男性)
両国 クチコミ:190件
三河の河村徳右衛門邸内の氏神として祀られていましたが、徳川家康が江戸城に移った際、河村氏も出府を命じられ神田川沿いに土地をもらい神社も移りました。明暦の大火後、河村家は本所立川に移りました。二代目夫人が腫物を患い祈願して平癒したことから腫物平癒祈願をする人が多く訪れたそうです。人々がお詣りしやすいように、邸宅内から現在地に移されました。平癒すると土地の産物の里芋をお礼にお供えしたそうです。扉が閉まっている社殿に里芋としなびた人参が供えられていました。赤い幟が三十数本境内に奉納されているなど篤く信じられていることがわかりました。社務所と町会会議所が境内の建物にありますが、シャッターが閉まっていて人はいませんでした。江戸に三河の人々が移り住んだことや、江戸の街づくりを垣間見ることができる稲荷神社です。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
クチコミ投稿日:2021/02/12
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