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日比谷公園

公園・植物園

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江戸時代から昭和中期まで存在した京橋川を代表する橋梁(明治期)の遺構です!

  • 3.5
  • 旅行時期:2020/01(約6年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

銀座・有楽町・日比谷 クチコミ:22件

『日比谷公園 京橋の欄干柱』は、現在の東京高速道路の「西銀座ジャンクション」付近(江戸城を囲む外濠)から「京橋ジャンクション」(八丁堀・桜川に合流)付近まで、延長およそ600メートルの区間を西側から東側に流れる江戸時代に開削された運河として存在した「京橋川」を跨いで北側「日本橋」を起点とする「日本橋」エリアと南側「銀座」エリアを南北に結ぶ「中央通り(国道15号線)」の橋梁として1875年(明治8年)に架橋(現在の「銀座通り口」交差点付近)された石造アーチ橋(橋長およそ19.8メートル、橋幅およそ14.4メートルの)である『京橋』の「欄干柱」部分で、1922年(大正11年)に照明設備付きの新たな「親柱」が設置された際に歴史を伝える遺物として、明治期の『京橋』の銘板が刻まれた「親柱」とあわせて「日比谷公園」に移設されています。
なお、明治期の「親柱」については、1934年(昭和9年)に『京橋』橋台などの整備にあわせて「日比谷公園」から再度『京橋』に移設されています。
その後に『京橋』は、東京高速道路の建設に伴い1959年(昭和34年)に「京橋川」の埋め立てとともに撤去され、『京橋』北橋詰跡東側「警察博物館」前と南橋詰跡西側「銀座1丁目交番」脇に1875年(明治8年)架橋の「親柱」が遺物として設置されています。
また『京橋』南橋詰跡東側には、大正期の照明設備付き「親柱」が設置されています。
そのほか『京橋』の歴史については、「日本橋」の架橋と同時期となる「徳川幕府」が誕生した1603年(慶長8年)に木造橋として架橋されたと伝わり、東海道の起点である「日本橋」から京へ上る最初の橋であったことから『京橋』の名が付けられたとされています。
江戸時代に『京橋』が描かれている浮世絵でも木造太鼓橋の「親柱」に「擬宝珠」が飾られていることが確認でき、江戸時代から重視されていた橋であることが伺えます。
ちなみに江戸府内で「擬宝珠」が飾られていた橋は、『京橋』のほかに「日本橋」と「新橋」のみで、徳川幕府による「御普請橋」として修復費などは徳川幕府が負担していました。
今回は、東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関駅」からJR山手線「有楽町駅」方面に徒歩で向かう際に「日比谷公園」西側の「霞門」から北東側の「有楽門」まで公園敷地内を通り抜けする際に『日比谷公園 京橋の欄干柱』の前を通り写真撮影をしました。
「欄干柱」だけを見ても『京橋』の文字などが刻まれていないので『京橋』の遺構であることが分かりませんでしたが、脇にある「解説板」を読み「欄干柱」上部に「擬宝珠」を施したデザインとすることで江戸時代の木造太鼓橋であった『京橋』の面影を表現していると感じました。
「日比谷公園」の園内には、『日比谷公園 京橋の欄干柱』のほかにもさまざまな遺構・記念碑など点在しているので四季折々の草花や樹木などの植物で癒されながら江戸時代から明治・大正・昭和の近代史などの歴史探索で楽しめる公園です。
機会があれば、「日比谷公園」敷地内の各所や『京橋』跡の「銀座通り口」交差点周辺を廻りながら歴史探索をしてみたいと思います・・・

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
東京メトロ:日比谷駅・霞ヶ関駅、都営地下鉄:日比谷駅、JR:有楽町駅から徒歩圏内です。
人混みの少なさ:
4.0
平日の午後でしたが、園内ベンチで休憩したり散策する人がまばらでにいる程度でした。
バリアフリー:
4.0
公園内の遊歩道から眺めるだけなので、遊歩道に段差はありません。
見ごたえ:
3.0
欄干柱だけを見ても明治期の京橋の遺構であることが分かりません。

クチコミ投稿日:2021/01/04

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