西洋の近代的な意匠を取り入れた現存する最古の石造アーチ橋です!
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by hiroさん(男性)
丸の内・大手町・八重洲 クチコミ:9件
『常磐橋』は、河川延長がおよそ4.8キロメートルとなる荒川水系の一級河川「日本橋川」を挟んで千代田区大手町側(右岸)にある「常盤橋公園」と中央区日本橋本石町側(左岸)の「日本橋川」に沿って通る「外堀通り(都道405号)」をつなぐ西洋の近代的な意匠を取り入れた石造技術を基盤に橋長28.8メートル、橋幅12.6メートルの石造二連アーチ橋に大理石製の八角形の親柱や唐草模様のような鋳鉄製の手摺柵などを施した和洋折衷様式となる橋梁として、1877年(明治10年)に架橋されており、親柱にある銘板などには『常盤橋』ではなく『常磐橋』の文字が用いられています。
江戸時代の『常磐橋』は、「江戸城」外郭の正門として石垣で周囲を囲むよう桝形に積み上げた空間の外側に「高麗門」、内側に「渡櫓門」の二重構造からなる防御性の高い「枡形門」と呼ばれる城門のひとつとして奥州道に通じる「常盤橋門」に架かる木製橋でした。
ちなみに「常盤橋門」は、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1629年(寛永6年)に「枡形門」に修築され、上州道に通じる「田安門」、将軍が菩提寺である「上野寛永寺」や「日光東照宮」に参詣する際に使用した「神田橋門(芝崎口)」、甲州道に通じる「半蔵門」、小田原道(東海道)に通じる「外桜田門」とあわせて「江戸城」と街道を結ぶ要衝として「江戸五口」に数えられます。
明治時代になると文明開化の中で明治政府による東京の近代都市化が急速に進められ江戸時代の木製橋から西洋の近代的な意匠を取り入れた石橋への架け替えが複数箇所でおこなわれており、その中で『常磐橋』が現存する最古の橋梁となります。
明治時代に架橋された当初の『常磐橋』は、馬車と人力車が橋の中央部分を通り歩行者が橋の両端を通るように敷石の色分けがされていますが、橋幅が狭く大手町と日本橋本石町を結ぶための幹線の橋になっていなかったこととあわせて、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」による復興計画の一環として「関東大震災」の3年後に「震災復興橋梁」となる「日本橋川」の下流に「日本橋」北詰から大手町方面に向う通りの新たな車道橋となる橋長38.6メートル、橋幅27メートルの鉄筋コンクリートアーチ橋(石貼り仕上げ)の「常盤橋」が架橋、1928年(昭和3年)には「日本橋川」の上流に橋長39.3メートル、橋幅27メートルの単純鋼床版箱桁橋の「新常盤橋」が架橋されたことにより、もともとの石橋である『常磐橋』は歩行者専用の橋梁となっています。
1928年(昭和3年)になると「常盤橋公園」内に現存する「常盤橋門跡」の枡形石垣の一部とともに『常磐橋』(石造アーチ橋)が国の史跡に指定され、2007年(平成19年)には「常盤橋門跡」、『常磐橋』(石造アーチ橋)、「常盤橋」(鉄筋コンクリートアーチ橋)が「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定されています。
その後の2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」によりアーチ輪石が変形したほか路面の陥没などもあり落橋の危険が生じ、大規模な復元工事が実施されています。
今回は、大手町周辺に立ち寄った際に「常盤橋」(鉄筋コンクリートアーチ橋)上から『常磐橋』(石造アーチ橋)を写真撮影をしました。
9年におよぶ『常磐橋』(石造アーチ橋)自体の復元工事は完了したばかりですが、あわせて実施されている「常盤橋公園」整備工事により工事用仮囲いで覆われており、すべての工事が完了するのが2021年(令和3年)3月ごろになるようです。
機会があればすべての工事完了後に復元された『常磐橋』(石造アーチ橋)の細部を見て廻りながら歴史を感じてみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ半蔵門線・三越前駅のB1出入口からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 2021年(令和3年)3月まで復元工事中で立入できません。
- バリアフリー:
- 4.0
- 2021年(令和3年)3月まで復元工事中で立入できません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 2021年(令和3年)3月まで復元工事中のため現在は日本橋川の下流の常盤橋上から眺めることができます。
クチコミ投稿日:2021/01/03
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