蒲生氏郷が東北地方の鎮めとして築いた城
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- 旅行時期:2020/08(約5年前)
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by myopiaさん(男性)
会津若松 クチコミ:3件
今見ることができる天守は残念ながら戦後再建されたものですが、城郭構造や堀の深さ石垣の高さはさすが蒲生氏郷が東北地方の鎮めとして築いた城といった印象。
その後も上杉景勝120万石、蒲生秀行60万石、加藤嘉明43万5千石と錚々たる面々が大封をもって入城しており、名門とはいえ保科家23万石には少し大き過ぎる気もします。城の維持だけでも相当な苦労があったはず。
とはいえこの城が実際に戦で使われた会津戦争では敗戦とはいえ政府軍との激戦に耐えぬいたのですから、ある意味その苦労が報われたのかもしれません。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/08/19
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