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かっぱ河太郎像

名所・史跡

かっぱ河太郎像 施設情報・クチコミに戻る

ブロンズ製・総金箔張りの”かっぱ橋道具街”シンボル像です!

  • 3.0
  • 旅行時期:2020/02(約6年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

浅草 クチコミ:35件

『かっぱ河太郎像』は、上野と浅草の中間地点となる「浅草通り・菊屋橋交差点」から北側方向へ「言問通り・金竜小学校前交差点」までの南北区間およそ800メートルの「かっぱ橋道具街通り」沿いの「合羽橋交差点」付近に位置します。
「かっぱ橋道具街通り」は、各種飲食店舗に欠かすことのできない「食器類」(陶器、漆器、カトラリー、箸など)、「調理用器具類」(包丁、鍋など)、「食品サンプル類」、「包装・容器類」、「調理衣裳類」、「店舗用家具・装飾類」、「厨房設備機器類」、「レジスター・券売機類」、「ショーウインド・看板類」、「店舗設計・施工関連」など、ありとあらゆるものが全て揃う170店舗以上の個性的な専門店が軒を構える「かっぱ橋道具街」として海外でも広く知れ渡っている地域であり、「東京合羽橋商店街振興組合」が2003年(平成15年)に「かっぱ橋道具街」が誕生してから90年となることを記念してブロンズ製・総金箔張り(高さ1.5メートル)のシンボル像として『かっぱ河太郎像』を建立しています。
「かっぱ」の名前が付くこの地域については、徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の文化年間(1804年~1817年)にこの地域特有の低地で水はけが悪く少量の雨が降るだけで洪水が発生してしまう「新堀川」の地形を見かねた雨合羽・商人の「合羽屋喜八」が水害対策として私財を投じて「新堀川」の掘割工事を始めたものの工事が思うようにはかどらない様子を見ていた隅田川の河童たちが、「合羽屋喜八」の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったとした逸話説とあわせて、江戸時代に現在の「かっぱ橋道具街通り」北側の「台東区・生涯学習センター」付近にあったとされる大洲藩(現在の愛媛県大洲市)の支藩である「伊予新谷城主」の下屋敷で暮らしていた足軽など身分の低い武士たちが内職で作った雨合羽を天気の良い日に近くの「新堀川」に架かる橋にズラリと干していたとされる説が残されています。
1912年(大正元年)ごろになると「かっぱ橋道具街通り」に流れていた「新堀川」の両岸に古道具を取り扱う数軒の店舗が軒を構えたのが「かっぱ橋道具街」の起源とされ、1923年(大正12年)に「関東大震災」が発生した後に「新堀川」が暗渠化となりましたが「合羽橋」と「菊屋橋」の二つの橋が交差点の名称として残されています。
「関東大震災」の復興に伴い菓子道具を扱う店舗を中心に”食”に関連する商店が集まり始めますが、太平洋戦争末期である1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により「かっぱ橋道具街」一体が全焼、終戦後になるとその時々の各種飲食店舗のニーズに対応した現在のような個性的な専門店が軒を構える商店街へと発展しいます。
今回は、初めて「かっぱ橋道具街」を訪れて食器類や調理用器具類などの専門店内を見て廻りながら、黄金色に輝く『かっぱ河太郎像』に吸い寄せられるように立ち寄りました。
専門店の隙間に樹脂製人工竹垣とともに「商売繁盛 かっぱ河太郎」と書き込まれた幟で囲まれ、かっぱが描かれたタイル舗装の小さな敷地内は、『かっぱ河太郎像』とその「石碑」・「かっぱ橋」の由来に関する掲示板があるだけですが、「かっぱ橋道具街」を散策している方達が国内外を問わず立ち寄る不思議な空間となっています。
機会があれば、毎年10月9日(道具の日)の前後に開催される「かっぱ橋道具まつり」の時期にまた訪れてみたいと思います・・・

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦
アクセス:
3.5
つくばエクスプレス・浅草駅A2出入口から徒歩5分程度です。
人混みの少なさ:
3.5
土曜日の午前中でしたが”かっぱ橋道具街”を散策する方が短時間で立ち寄る程度です。
バリアフリー:
4.0
かっぱが描かれたタイル舗装で段差はありません。
見ごたえ:
3.0
ブロンズ製・総金箔張りの像です。

クチコミ投稿日:2020/06/06

いいね!:3

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