タイトルが少し雑ではなかろうか。
- 5.0
- 旅行時期:2020/03(約4年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
大阪城・京橋 クチコミ:15件
京橋駅南口を出て少し西に歩いた大阪環状線のガード下手前にあります。正式名称は〝大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑〟というようだ。
第二次世界大戦末期に大阪は、昭和20(1945)年3月から8月に八度の大規模な爆撃を受けている。特に京橋地区は大阪城内に設けられた大阪砲兵工廠を標的にされ、三・五・七・八回目の空襲被害を受けた。
八回目の空襲は終戦前日の8月14日で、この日の爆撃は工廠を逸れた1t爆弾が4発が京橋駅に落下。その内の1発は当時の城東線(現大阪環状線)の高架を突き破り、場所的に陰になっていたことで多くの鉄道利用客が避難していた片町線(現東西線)ホームに落下して爆発。身元がわかった者だけで210名以上、その他に身元不明の犠牲者5~600名以上を出すという大惨事となった。
後1日・・・という表現をされるようだが、果たしてこの惨事が爆撃目的を外したものと一言で片付けられるものかどうかの方に疑問を覚える。瞬時にして犠牲者数すらわからない惨劇を起こした爆撃はたまたまなのか?それでは済まされないであろう。
惨劇後10年経った昭和30(1955)年8月14日に慰霊祭が行われるようになった。その慰霊碑を建立したのは、惨劇を目の当たりにした一個人が自費で建てたものである。
慰霊碑を建立した方は自らの思いを込めて〝大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑〟と名付けられたに違いない。それをわかりやすいという理由から〝空襲による遭難者供養の碑〟とするのはあまりにもあんちょこではないかと思えてならない。
公的機関が作ったものであればわかりやすい名前で良いだろう。しかし個人の思いを込めた名前を変えるものではないと私は思う。
平日に訪れたが花形向けられており、人の手が入っていることがよくわかる。わかりやすくではなく〝真実〟を語ることが重要なのではないか?そう思えて仕方がない今回の訪問であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 京橋駅南口すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時には誰もおられなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 足元にはだんさがある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 自然と手を合わせられる場所だった。
クチコミ投稿日:2020/03/27
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