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伝説の背後に隠された歴史

  • 5.0
  • 旅行時期:2019/10(約5年前)
ウェンディさん

by ウェンディさん(女性)

幸手・久喜・栗橋 クチコミ:49件

今から数百年前の江戸時代。
武蔵国の片隅に毎年のように水が溢れ、人々を困らせる川がありました。
村の人たちは濁流が橋を押し流す度に橋を作り替え、流された家々を修理し、水と共に消えてしまった村民を弔いましたが、大水で田植えをしたばかりの稲が倒れてしまい、せっかく育ってきた稲穂が水に浸かり全滅する年が何年も続くと、さすがにこの大水は川に澄む川龍の仕業であると考え、神である龍を鎮めるためには生け贄を川に捧げ、龍の怒りを抑えるしかないと考えるようになりました。

そんなある日、村に母と娘の二人の巡礼がやってきました。
母娘は村人の困り果てた状況を耳にし、それならば自分たちが人柱となり龍神の元へと参りましょうと自ら荒れ狂う川へと身を投げ、その甲斐あってか、以降は川が荒れることも、洪水を起こすこともなくなった・・・。
権現堂地区には、そんな伝説が残されています。

しかし、本当に事実はそうだったのでしょうか。

多分、川に人柱として沈められたのが巡礼の母娘である・・・之はあっているのだと思います。
でも、年頃の娘を持つ母親が、自ら娘を巻き沿いにしてまで人柱に志願する・・・とは考え難いと思います。

時期の悪いときにこの地を通りがかった巡礼の母娘が、人柱の人選に苦慮していた村人たちに、無理矢理に川に投げ込まれたと考える方が自然ではないでしょうか。

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毎年、梅雨の時期になると橋を落とすほどの水量となる暴れ川。
川から溢れ出た水は土手を越え、村の家々を押し流し、多くの村人がその命を失い、植えたばかりの田の稲が流される年も多かった。
そんな年が続いていた時に、この村に一晩の宿を求めてやってきた巡礼の母娘がいた。

聞けば、彼らに身よりはなく、母娘のみで支え合って巡礼の旅を続けているという。
村の男たちは、巡礼の母娘の身の上話を聞き、静かに心の中で考えたに違いない。
毎年毎年、洪水が起きていたのでは将軍様に納める年貢すら取れなくなり、この村の皆はいずれ、食べ物さえ手に入れられなくなり、餓死するだろう。
もう、荒れ狂う水龍を止める手段は一つ;貴重な命という対価を持って、龍の怒りを静めたもうしかない。
しかし、村人の多くは洪水に巻き込まれ、今では残っているのは半数もいない。
かくなる上は、身寄りのないあの母娘。
彼女たちならば、消えてしまっても誰も探す人もいないだろう。

そんな話し合いが密かに村の寄り合いで行われ、酒で眠らされた母娘二人が、同意もなく川へとなげこまれ、それ以来、村は大きな災いもなく平穏な暮らしを維持している。
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秋になると権現堂で見られる曼珠沙華が流れる紅の川。
そこには、隠されたもう一つの伝説があるのかもしれません。

施設の満足度

5.0

クチコミ投稿日:2019/10/06

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