豊臣時代の天守閣の位置や規模がほとんど解っていない現天守閣は昭和製
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- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by 北田辺さん(男性)
大阪城・京橋 クチコミ:93件
豊臣秀吉が築城した大坂城天守閣の位置や規模がほとんど解っていない大坂夏の陣で徳川に壊滅的破壊された後徳川二代将軍秀忠がの盛り土をした上新築、その後落雷で焼失し現在の天守閣は昭和23年大阪市民の寄付などで新築、元は全く無かったので改築ではない、豊臣の天守閣の位置や規模がほとんど判明していない、天守閣前本丸広場でスクリューの付いた棒を地中に差し込んでの調査が長く続いている最近の地中7Mの場所で硬いものに当たったとする発表があった、何百回も行うことで輪郭が判明するそうだが気の遠くなる話だ後期高齢者である私には生きている間は謎のままが続くのが残念だ。
大坂城は誰れが建てたのかと聞くと太閤秀吉さんの答えが返るのが大阪の人、徳川に破壊された恨みが残るのだろうか城内には秀吉を祀る豊国神社や太閤銅像があり豊臣秀頼と淀殿のお墓まで城内に存在している、大阪城は大阪府内最大級の観光施設であることは間違いない、誰が建てたかなど関係なく毎日数十台の観光バスが到着しています
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- バリアフリー:
- 4.0
- 天守閣にはエレベーターが付いています
- 見ごたえ:
- 4.0
- 天守閣と石垣です
クチコミ投稿日:2019/06/22
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