建築主が豊臣秀吉、徳川秀忠、大阪市民と続く3代目の大阪城天守閣、波乱に満ちた建物です
- 4.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by えいちゃんさん(女性)
大阪城・京橋 クチコミ:11件
豊臣秀吉の天守閣は大阪夏の陣で壊滅、徳川秀忠が再建の天守閣は落雷で焼失その後天守閣の無い時代が続き昭和6年大阪市民の寄付などで現在の天守閣が構築された、天天守閣が無くても大阪城の機能は維持されていたのは徳川政権の安定した時代であっからと言えます、現在の大阪城建物の外観は限りなく豊臣秀吉の城を考察して造くられたが鉄筋コンクリート造りで昭和の近代的建物、姫路や松本城のように内部の柱の構造や武者隠しなどの施設を近くで見ながら狭い、急な、窮屈な階段をあえぎあえぎ頂上階に着くことで歴史を感じることができたがエレベーターでは単に観光用展望台の認識しか受けなかった(大阪城も階段は当然あるし各階に武具などの展示にコ―ナーがあります)
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 大阪メトロ谷町四丁目駅又は京阪天満橋駅から徒歩10分
クチコミ投稿日:2019/06/15
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