大阪大学医学部の始まりの地
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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by すぶたさん(女性)
ミナミ(難波・天王寺) クチコミ:345件
大阪大学医学部といえば、関西では京都大学医学佛並ぶ存在です。
また、山崎豊子の「白い巨塔」の舞台にもなりました。
大阪大学医学部と病院は、郊外に移転する前は大阪中之島にありました。
それより前の明治維新すぐには、
現在の大阪府庁の近くに舎密局が学校として開かれました。
しかし、病院は資金難でなかなか会員になりませんでした。
そこで天王寺の大福寺に「浪華仮病院」が開院されました。
たった3ケ月でしたが、緒方洪庵の次男の緒方惟準が院長、
主席教授はオランダ人ボードウィンが就任し、
教育も受け持ちました。
これが、のちの大阪大学医学部へとつながります。
大福寺は檀家に薬問屋も多かったそうで、何かと医学に関係がありますね。
門は閉まっていましたが、横手からは立派な「浪華仮病院跡」の石碑が見られました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/04/14
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