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新島襄誕生地跡

名所・史跡

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「新嶋襄先生生誕之地」との自然石の碑と解説板があります

  • 3.5
  • 旅行時期:2019/02(約7年前)
風来坊之介さん

by 風来坊之介さん(男性)

神田・神保町 クチコミ:162件

 地下鉄・竹橋駅から神田神保町方面に向かう折通り掛かったところで、白山通りの一ツ橋交差点右手向こう (北東) 角の学士会館南側の植込みに、自然石の碑と解説板があります。
 石碑には、旧暦の誕生日と「新嶋襄先生生誕之地」と彫られ、右隣りに錦町三丁目町会などが立てた解説板があります。
 その解説板を見ると、概要だが
 上州安中藩主板倉伊豫守の江戸藩邸に誕生したことから始まり、21歳で函館より密かに米国に渡航しキリスト教文化を体得された。
 留年10年、帰朝の翌年、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。
 ことなどが、かなり詳しく記されています。
 これを見て驚いたのは、21歳で米国に密航し、10年もキリスト教文化を体得していたことや、帰朝翌年には、早くも同志社を建てたその実行力の凄さです。
 今まであまり関心がなかったが、この解説板を見て、新島襄の密航を初めとするその実行力の凄さに興味が湧いてきた次第です。
 ところで、この石碑は、新島襄先生生誕百年を記念して建てられたが、神田錦町出身の偉大な先覚者をしのび、この解説板を、20数年の同志社創立九十周年を記念して錦町三丁目町会などが立てたもので、新島襄先生が、錦町三丁目町会などの方々にいかに親しまれ大切にされているのかなどが窺えます。
 また、この石碑の右手 (東) 方向に2分位行った左手に、新島襄の幼名を冠した「錦三・七五三太公園」があり、この説明板に、新島襄のことやこの石碑の除幕式時の町会の子ども達のエピソードなども記されているので併せてご覧になることをお勧めします。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.5
近いのは地下鉄・神保町駅出入口A9を出て右手の共立女子大学前信号を左手(南)方向に渡りそのまま1分少々進んだ一ツ橋信号左手奥の植込みです
人混みの少なさ:
4.0
見ている間近くを行き来する人がたまにいる位でした
バリアフリー:
4.0
歩道が整備されているので大丈夫です
見ごたえ:
3.5
自然石の碑とともに新島襄の実行力の凄さに興味が湧いてきます

クチコミ投稿日:2019/03/08

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