戦前はヨーロッパからの最速窓口
- 4.0
- 旅行時期:2019/01(約5年前)
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by ワンダラーさん(男性)
敦賀 クチコミ:10件
大正から昭和初期の戦前迄は、ヨーロッパ各国との人の往来は専ら船で、外交官の赴任など急ぐ場合はここ敦賀港からウラジオストック港に日本海を渡り、ウラジオストックから長躯シベリア鉄道のモスクワ経由でウィーンやベルリンに鉄道で行っていたという。
(狭くて不自由な車中を嫌う旅行者は、横浜港から海路インド洋を渡りスエズ運河経由マルセイユなどに上陸して鉄道と、1か月以上の旅)
その意味で敦賀港は、ヨーロッパからの最速窓口であり、文化都市であった。1912年からは敦賀港駅から東京の新橋駅に直通運転する欧亜国際連絡列車が運転されていたという。
敦賀駅から敦賀港間の路線も長期休止線になり、旅客駅は鉄道資料館として保存、貨物はトラック輸送に変わった。
この鉄道資料館には、米原・長浜からの北陸線の開通状況やその後の改善など、貴重な資料が展示されている。
館内は狭くて展示量も限られているが、無料で毎日公開されていることは、歴史を大切にする文化都市であるといえよう。惜しむらくは、他の施設と回って観光しにくい点だ。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/01/17
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