明治時代の先人の苦労が偲ばれる小径
- 2.5
- 旅行時期:2018/09(約6年前)
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by ワンダラーさん(男性)
練馬 クチコミ:84件
田柄用水は、江戸時代に建設された有名な玉川上水の支流である新堀用水が田無用水と鈴木用水に分かれ、さらに田無用水から分流を明治4年になって北側の石神井川と白子川に挟まれた台地上の現在の練馬区北部、田柄、土支田、石神井台などに引いた用水という。
明治4年とはいえ、手掘りで、モッコなどで担いで土砂を掘ったのであろうから、大事業のはず。関東ローム層で、漬物用の練馬大根くらいしか安定的に出来ない畑地が、麦畑や蔬菜畑になったのであろう。広大な水田が出現したとは思えない。
石神井川谷頭のさらに西、西東京市で千川上水から分流し、富士街道沿いに東流、北に向かい三軒寺付近を経て土支田から光が丘にかけてコンターに沿ってS字状につくられている。灌漑用だけでなく、写真近くには関口水車というのがあって、製粉などにも使われていたらしい。(近くに関口米店が現存している。)
現在は、富士街道沿いなどは道路敷きの一部で判別し難いが、土支田辺りでは青地がそのまま自転車道などで利用されているので、用水の流れを実感できて楽しい。(練馬区内では舗装に写真の水色の標識あり。主に下水道本管を埋設)
光が丘の下流の田柄用水は、自然河川の北側に掘られていたようで、自然河川部分(と後の鉄道啓志線跡)は田柄の緑道として整備されているので、その一部かもしれない。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2018/09/30
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