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北辰社牧場跡碑

名所・史跡

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北辰社牧場跡碑が、目白通りの西側の歩道に立てられています。

  • 3.5
  • 旅行時期:2018/04(約8年前)
さいたまさん

by さいたまさん(男性)

神楽坂・飯田橋 クチコミ:56件

北辰社牧場跡碑が、目白通りの西側の歩道に立てられています。
明治維新となり、目白通り沿いにあった旗本屋敷等は、殆どが空き家となりました。
廃藩置県により藩主、江戸在住を義務付けられていた領主の家族及び江戸勤務の家臣が国元に帰って行ったためでした。
その結果、130万人いた江戸在住者が、58万人に激減し、治安面を含め、大きな社会問題になりました。
このため、維新政府は、新たな経済活動の育成振興に努力しました。
その中において、幕臣であった榎本武揚は、酪農の本場、オランダに3年間留学した経験を活かし、北辰社を設立し、牧場を開き、乳業工場を運営しました。
戊辰戦争の際の蝦夷地の開発をイメージしていたのかもしれません。
最盛期には、周辺に約3,500頭の牛が飼われていたそうです。
周辺には、牧場が多数あったようです。
明治初期の地図を見ると、茶畑や草地が諸処に見られ、一国の首都らしからぬ田園的な状況です。
現在の目白通りの高層建築物が林立する姿とは、全く異なっていたものと思われます。
明治初期における北辰社牧場が果たした役割は、極めて大きかったものと想像できます。
そういう目で見ると、単なる石碑も、別の意味合いが感じられます。
ぜひ、酪農の場面を思い浮かべながら、北辰社牧場跡の石碑を見ると、明治時代初期の殖産振興の息吹が伝わってくるものと思います。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
3.5
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2018/04/18

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