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人吉城歴史館(現在休館中) 施設情報・クチコミに戻る

九州隠れキリシタン史を覆す貴重な遺跡

  • 5.0
  • 旅行時期:2017/10(約7年前)
レモンさん

by レモンさん(女性)

人吉 クチコミ:1件

歴史館は相良清兵衛屋敷の跡に建てられており、地下で発見された謎の井戸付きの地下室遺構が見学できます。
投稿した写真2枚がこの人吉城歴史館の謎の地下遺跡、最後の1枚がスペインのジローナにあるユダヤ教博物館で展示されている、中世ユダヤ教の沐浴場「ミクヴェ」です。
この2つは驚くほど酷似しており、この事実は九州隠れキリシタン史を覆す大発見の可能性があります。

歴史上、相良氏は徳川幕府による禁教令を守り、人吉城下にキリシタンは存在しなかったため、天草のような大虐殺を免れて相良氏は存続しました。
しかし地理的にも人吉城下へのイエズス会宣教師の教義の伝播は十分可能であり、キリスト教の禁止前に相良氏がキリシタン大名と懇意であったことも分かっています。
写真でも分かるとおり、この歴史館で発掘された地下遺跡の壁には、家老の相良清兵衛といえど入手困難と思われる贅沢な石が全面に使われています。
この石は人吉城壁の石と同じもので、通常大名にしか入手できない他県産の贅沢品です。
自宅に城壁と同じ石材を使用する相良清兵衛の牽制ぶりもさることながら、ただの井戸の建築にそのような高級品を大量に使うでしょうか?
少なくともこの謎の地下遺跡は、相良清兵衛が肝入りで自宅地下に建築させた、彼にとって非常に重要な場所であったことは明らかです。

一方で日本にキリスト教をもたらしたイエズス会のザビエルの後、日本を新たな布教の地と期待したスペインやポルトガルの宣教師が相次いで来日しました。
これらの国ではユダヤ教の迫害が激しく、キリスト教に改宗させられたユダヤ教の宣教師が多数存在しました。彼らのイエズス会内での地位は低く、辺境の地日本へ命を懸けて布教に来た、もしくはイエズス会に左遷されたと考えるのが自然です。
すでに明らかな事実として、日本のキリシタンの教義は日本の風土や仏教・地域信仰等に影響され、本来のキリスト教とは違うものへ変容していきました。
しかしそもそも日本へキリスト教を布教した宣教師自体に、ユダヤ教徒が紛れていた可能性は否定できません。

人吉城歴史館の謎の地下遺跡は、堅牢かつ精巧な構造で建築されており、日本の遺跡で同様のものは発見されていません。
当時この地域に城壁を建築する技術はあったものの、なんらかの設計案や知識の伝播なしに、中世ユダヤ教徒の沐浴場「ミクヴェ」に酷似した井戸を、しかも贅沢な石を多用して相良清兵衛が自宅地下に作るでしょうか?

相良清兵衛は天下分けめ直前に豊臣を裏切り、徳川について相良氏を存続させた切れ者の家老です。
地理的な距離を幸いに江戸の徳川を欺き、人吉城下でのキリシタンの存在を否定しながら、自宅地下に洗礼場を建築させるだけの手腕はあるでしょう。

結局、清兵衛は藩内で権力を持ちすぎて他の家臣に疎まれ、大名を傀儡した罪で徳川に告発・流罪になり、一家郎等皆殺しになりました。
この歴史館のある屋敷跡もその時焼き討ちされ、地下遺跡も埋められました。

私は相良清兵衛が隠れキリシタンであり、藩内のキリシタンを保護していた可能性が高いと考えています。
天草の乱の後、キリスト教を敵視する徳川に藩の家老を初めとした大規模な隠れキリシタンの存在が露見すれば、大虐殺と相良家取り潰しは避けられなかったでしょう。
相良清兵衛は流された青森で犯罪者として死に、地元には墓もありません。しかし、一方で優れた政治手腕により天草のような虐殺から人吉を守った、大変な功労者の可能性があるのです。

以上は相良清兵衛に関する一説にすぎませんが、その真偽はともかく人吉城歴史館の謎の地下遺跡は、他に類を見ない大変貴重なものです。
この歴史ロマンを確かめに、是非人吉城歴史館へ行ってみてください。

施設の満足度

5.0

クチコミ投稿日:2018/02/20

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