竹林寺 「よさこい節」の原点?
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- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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by higashimachiさん(男性)
高知市 クチコミ:2件
「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし
買うを見た よさこい よさこい」
おなじみ「よさこい節」の一節です。
歌詞に登場する「坊さん」とは、高知市五台山にある
竹林寺(ちくりんじ)の僧「純信」。
江戸時代末期(安政)の頃、この寺には、鋳物の修理・修繕を行う
鋳掛屋(いかけや)の娘・「お馬(当時17歳)」が、
僧たちの洗濯物を届けに出入りしていました。
はりまや橋で髪飾り(かんざし)を買ったのは、
美しい娘・お馬の気を引くためです。
道ならぬ恋にすべてを捨て駆け落ちをした純信とお馬でしたが、
関所破りで間もなく捕えられ、二人は別々の場所へ追放されてしまいます。
純信は伊予の川之江・大門(川之江高校付近)へ追放されました。
その後二人は二度と会うことはできませんでした。
土佐の画家、河田小竜が川之江へ行ったときに
お馬にあてた純信の手紙をあずかっています。
内容は、「迎えに行きたいと思うが、色々と難しいことがあって、
どうしても行けない。
私は、今も独身で、何年たっても、きっと迎えに行くから、
どうかそのつもりで待っていてくれ」
と、変わらない愛情を訴えています。
しかし、この手紙はお馬の手にはわたらなかったようです。
愛媛県四国中央市川之江町3682付近・国道11号線に純信堂があり
「純信」が祀られています。
河田小竜
米国より帰国した漁師・中浜万次郎(ジョン万次郎)が語る
異国の生活事情に大いに啓発され、万次郎の夜語りを聞き捨て
にすることを惜しんだ小龍は、一切の私見を加えず、
小龍の挿絵を加えて漂巽紀畧五巻として上梓し、藩主に献上しました。
そして同書が江戸に持ち込まれると、諸大名間で評判になり、
万次郎が幕府直参として取り立てられることになったのです。
また、かねて親交のあった藩御用格医師・岡上樹庵の妻が、
坂本龍馬の姉・乙女であったことから、小龍は『貿易』によって
異国に追いつく事が日本のとるべき道だと龍馬に説き
龍馬が海援隊を結成するきっかけとなったのです。
竹林寺の案内には「純信」に関する記述がありません。
女人と駆け落ちした僧のことなど世間に公表するのを
はばかっているのでしょうか?
竹林寺のホームページ「竹林寺の歴史」に「純信」の記述を見つけました。
「今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信(じゅんしん)
・お馬の恋物語があります。その物語に登場する純信も江戸時代末、
当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。」
竹林寺に純信が修行に行っていなければ「よさこい節」が
生まれなかったのです。
大げさに言うと8月10日と8月11日に高知市で行われる
「よさこい祭り」も生まれなかったし、
北の大地で6月に行われる「YOSAKOIソーラン祭り」も
生まれなかったと私は思います。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2017/12/05
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