係の人から聞いた知多木綿の歴史
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- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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by たびたびさん(男性)
知多・東浦 クチコミ:30件
木綿蔵 ちたは、知多木綿のあれこれを展示する施設。織物の体験等もできるようでしたが、興味深かったのは、係の人から聞いた知多木綿の歴史。知多半島は耕地も少なく、貧しかったので、収入を得るために、男は外に出かけて漫才をする。女は内職で木綿を織り、織物が出来ない女は嫁に行けないとまで言われたのだそうです。江戸時代の課税も基準も田んぼの広さではなく、人頭税方式。知多半島は戦乱がなく、平和なところだったから豊かになったのかと理解していましたが、そのイメージはかなり崩れることになりました。
一方で、その転機が訪れたのは、さらしの技術を取り入れたこと。さらしは色ずんだ布を真っ白にする技術。木綿の原料も外から入れて、織り上がった品は松阪とかに納めるという形から、ここで最終製品を作って、江戸とかに販売することができるようになり、一気に儲けが増えたのです。さらした白い布はデザインとかないですが、それはそれで大きな需要があって、販売先には困らない。大きな産業に発展。知多半島の中心部にあった岡田では生産技術の革新もあって、工場が集中し、反映したということ。なるほど。勉強になりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2017/10/04
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