原子爆弾〝リトルボーイ〟が上空で炸裂しました…。
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- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
島内科医院、広島で原爆が炸裂した島病院が戦後再建され島外科となり、その後島内科外科医院を経て現在の島内科医院となりました。相生橋を投下目標とした原子爆弾リトルボーイは、この島内科の中庭上空680mの高さで爆発し、3000℃の熱線と350万Paという爆風が一帯を襲います。
病院は跡形も無く大破・炎上し、80人余りの職員と入院患者は全員が即死でした。たまたま郊外へ出張手術を行うために出かけていた院長と看護師1名が難を逃れるも、軍関係者より広島が壊滅的な被害を受けた旨と救護要請を受け、途中で広島へと戻ったものの激しい炎に遮られるなどして帰着できたのは翌8月7日の午後であったそうです。帰着した2人は瓦礫の下からおびただしい数の白骨化した遺体を発見し、その他焼け残った器具ケースの中にあった手術用具のみが島病院の唯一の痕跡であったとされています。
その後院長は知人の病院から持ってきたわずかな救急用医療資材を持って8月6日の夜より、商工会議所前の広場で被爆者の救護活動をはじめます。その後救護所となった袋町国民学校(現広島市立袋町小学校)で被爆者の救護活動に従事されています。
腕の良い外科医としての名声もありましたが、原爆によって全ては失うものの、戦後再建されたモルタル2階建ての粗末な病院を見て、『私の新しい病院は平和と貧しき者、窮乏したる者を世話することに捧げられている』と言葉を残されています。
島内科医院となった現在、爆心地と書かれたモニュメントがあるだけに過ぎません。また病院周りも駐車場街となっており、高層建物が並ぶエリアで往時を偲ぶものは付近にはありません。ただ偶々難を逃れたドクターが救護活動に奔走されたことには何か運命的なものを感じました。決して自分のためではない、すべての人のための病院だという言葉に心の中が熱くなりました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 袋町電停下車徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- こちらを目的としておられる方には会いませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 舗装はしてあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- モニュメントが残るだけですが…。
クチコミ投稿日:2017/09/14
いいね!:11票
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