厳格で意志の強さが伝わってくる銅像です!
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- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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by hiroさん(男性)
門前仲町 クチコミ:10件
近代日本地図の始祖として江戸時代後期に初めて実測により日本地図(大日本沿海輿地全図)を作成したことで知られる『伊能忠敬』(1745年~1818年)は、現在の千葉県山武郡九十九里町の生まれで、1762年(17歳)の時に現在の千葉県香取市佐原で酒造家を営んでいた伊能家の婿養子になっています。
その後、1781年(36歳)に村の名主となり、1784年(39歳)に名主を監視する権限を持つ村方後見の役を命じられ、1794年(49歳)に家督を長男に引継ぎ隠居しています。
隠居した後の1795年(50歳)に江戸へ行き、深川黒江町(現在の門前仲町1丁目)に家をかまえ19年間(1814年まで)生活しましたが、地図の作成作業には手狭となっていたために八丁堀亀島町引っ越ししています。
江戸での隠居生活では、江戸幕府天文方になった天文学者の「高橋至時」に弟子入りし、天文学・測量技術を学び、蝦夷地(北海道)測量事業の担当として、高齢ではあるが測量技術や指導力、財力などの点で『伊能忠敬』が選任されています。
1800年(55歳)に第1次測量事業の蝦夷地(北海道)測量の旅に出発する早朝「富岡八幡宮」を参拝しています。
測量の旅に出発する前の「富岡八幡宮」参拝は、第8次測量事業まで毎回行われています。
1816年(71歳)第10次測量事業の江戸府内測量までに合計10回の測量事業が行われています。
(但し、第9次測量事業に伊能忠敬は、参加していません。)
『伊能忠敬』は、1818年(73歳)に生涯を終えますが、地図が未完成であったために死は隠され、「高橋景保」(「高橋至時」の長男)を中心に地図の作成作業は進めら、『伊能忠敬』の死後3年の1821年に「大日本沿海輿地全図」が完成しています。
「富岡八幡宮」に参拝する際は、『伊能忠敬像』に必ず立ち寄りますが、江戸時代に50歳から天文学・測量を学び日本各地を実測して日本地図を作った偉業に頭が下がります。また、『伊能忠敬像』の姿からも厳格で意志の強さが伝わってきます。
自分自身が弱気になっているときなどは、『伊能忠敬像』を見て「頑張らねば!」と勇気をもらっています。
『伊能忠敬像』は、「富岡八幡宮」の境内(正面大鳥居のすぐ左手)にあり、伊能忠敬が測量開始から200年を記念して、2001年(平成13年)に建立された比較的に新しい銅像です。
『伊能忠敬像』へのアクセスは、「門前仲町駅」(東京メトロ・東西線)1番出口から「永代通り」を木場方向へ徒歩3分(約150メートル)程度です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2017/06/11
いいね!:10票
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