尊王攘夷派と幕府恭順派の力関係は長州でも絶対的なものではなかったということ
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- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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by たびたびさん(男性)
萩 クチコミ:206件
佐久間佐兵衛旧宅地は、高杉晋作旧宅のある地区のほど近く。二本の石柱の門の前に少し苔むした名前を記した案内の石杭と説明板がありました。その細い路地の先、一般住宅の間が旧宅ですが、それ自体はどうということはありません。やはり、佐久間佐兵衛に思いを馳せられるかどうか。
佐久間佐兵衛は、水戸の会沢正志斎に学び、その後、藩校明倫館の助教等、藩の要職についた人物。禁門の変にはつながりしましたが、家老の福原越後の参謀として京に登ったのはこれ以上なく晴れがましい舞台だったはず。しかし、京で敗れて逃げ帰ると、第一次長州征討を受けた長州藩は幕府への恭順派が主流となり、福原越後は切腹。佐久間佐兵衛も斬首される。
尊王攘夷派と幕府恭順派の力関係は長州でも絶対的なものではなかったということ。その力関係のはざまで多くの有為な人物が犠牲になったことを思わずにはいられません。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/12/01
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