1640年代会津藩主「保科正之」により参勤交代や年貢米を運搬するため会津若松城から下野国今市宿までの32里が会津西街道として整備されこの間に14の宿場を設け大内宿もその一つの宿場である。
- 4.0
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
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by たびえさん(女性)
田島・南会津 クチコミ:1件
江戸時代、会津若松城から江戸まで約61里(244km)あり五泊六日の参勤交代の行程であったが大内宿は若松から五里程度で早朝に城を出た大名行列の昼食休憩の宿場だった。大内宿の各家庭には屋号があり現在も屋号で呼び合う習慣が引き継がれている。大内宿街並み展示館、子安観音、高倉神社、桜木姫の墓など見るべきところも沢山ある。写真を撮るのには見晴台からが大内宿を全景をとれるのでぜひ登ってみてほしい。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 湯野上温泉駅から車で10分
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日はわりに混まない
- バリアフリー:
- 3.5
- 平坦な道は問題ないが見晴らし台に上る階段はきつい
- 見ごたえ:
- 4.0
- 江戸の宿場町の散策が楽しい
クチコミ投稿日:2016/11/16
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