龍馬脱藩の土佐国境の峠と番所関門跡
- 4.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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by マローズさん(男性)
天狗高原周辺 クチコミ:5件
文久2年(1862)3月26日早朝、梼原の那須邸を出立した龍馬一行4人は、昼頃、土佐と伊予の国境、韮ヶ峠に到着した。峠自体に番所はないが、伊予側に少し下った所の平地に番所があった。私は一行がすんなり通過できた理由として、他の志士の脱藩時のように、土佐勤王党員で藩の監察、曽和伝左衛門が龍馬らに偽の通行手形を付与していたものと推察している。
番所跡は植林帯の中にあり、当時の関門の支柱土台の石が道を挟んで三個ずつ残っている。
尚、峠まで同行していた那須信吾は峠で龍馬らと別れて引き返し、約二週間後、高知城下で藩の参政・吉田東洋を暗殺し、別ルートで脱藩した。
峠には数年前、龍馬脱藩150周年記念歌碑や龍馬の写真に写っていた肘置き台が設置された。特に肘置台は記念写真撮影時に好評。歌碑の裏には私の名も刻まれている。
因みに私は過去、高知市の龍馬生家跡から下関市の白石正一郎邸跡まで、脱藩の道約250キロを歩き通すとともに、判明していなかった区間のルートを解明し、高知や山口の新聞社から取材を受けたことがある。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 脱藩の道のウォーキング・イベントの日以外は静か
クチコミ投稿日:2016/09/04
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