四国屈指の古代朝鮮式山城
- 3.5
- 旅行時期:2016/08(約8年前)
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by マローズさん(男性)
西条・石鎚山 クチコミ:3件
西暦660年、唐・新羅の連合軍によって百済が滅ぼされると、百済は親交のあった日本に国の復興のための援軍を要請、朝廷もこれに応える。
しかし3年後、朝鮮半島南部で繰り広げられた「白村江の戦い」で日本軍は敗北する。これにより、百済は完全に消滅した。
朝廷は唐・新羅の連合軍が日本に侵攻してくることを恐れ、百済の役人の指導の元、九州北部や瀬戸内海沿いに山城を建設する。この山城を「朝鮮式山城」という。
四国では屋嶋城、城山城が確認されているが、永納山城跡は残存城壁(土塁と列石)の規模に於いて四国随一。
城壁は永納山を主峰とする馬蹄型尾根と北西の医王山に築かれており、全長は2.5kmに及ぶ。しかし現在、大半が土砂やヤブ、保護シートに覆われ、視覚的に把握できる箇所は限られている。
それでも永納山の尾根には登山道が整備されており、展望地も多い。
余談だが、永納山北側には、四国で二番目の規模のサギソウ群生地がある。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/08/17
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