ハーリー発祥とされる御嶽です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
豊見城グスク、三山時代の1400年頃に後に南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を望む見晴らしの良い高台に築いたことが発祥とされていますが、その後三山統一の戦いに於いて中山王の尚巴志に攻められて1429年に落城し南山は滅びます。
落城の際にどの程度の遺構が残っていたのかは定かではないものの、18・19世紀の冊封副使やペリー艦隊一行の記録には三重の郭から構成され五つの城門があったと記述されています。しかし沖縄戦や戦後の城跡公園の建設時にほとんどの遺構は破壊され、現在では見ることができません。
その城跡にのこる豊見瀬御嶽、歴史自体は定かではないところもあれ水や雨を司る龍記録されているそうです。そして豊見城城主汪応祖が中国で龍船による競漕を見て感動し、漫湖に浮かべて遊覧した際にこれを見た那覇・泊・久米の3村の人々が船を造って豊見城城下の漫湖で競漕を始めたのが、ハーリーの起源とされており、豊見瀬御嶽敷地内にはハーリー発祥の地の石碑が建立されています。
競漕の際には、ハーリー舟をチーヤ(津屋:漫湖にある小さな浮き島)に漕ぎ入れ、豊見城城内の豊見瀬御嶽に拝礼し、ユガフー(世果報:豊年、豊作)を祈願したといいます。 3村の拝礼は明治の廃藩置県後に一時途絶えていたものの、平成15(2003)年に?豊見城ハーリー由来まつり?として神事が復活し、毎年5月に豊見瀬御嶽で拝礼の儀式が行われており、平成20(2008)年からは?豊見城ハーリー大会?が開催されています。
御嶽という沖縄に於ける聖地であると同時に、現在閉鎖されている旧豊見城城跡公園敷地内にあるため、いつでも訪れることができるかどうかは確認できていないところもあります。慰霊の日には拝所参拝者はこのルートで可能と入口付近に書かれていたため行ってきました。それに加え年に一度神事の?ハーリー由来祭り?が開催されるときも入れるようです。
現在旧城跡公園が再開発中であるため、同じ状況が続くということではないので、もし行かれるならば問い合わせされてからの方が良いかも知れません。人通りがなくなった城跡公園ですが芝は刈られており、御嶽敷地からも漫湖やとよみ大橋等を望む絶景が楽しめました。
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- 城跡公園内ですが立ち入れる日は決まっているようです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- どなたもおられません。
- バリアフリー:
- 4.0
- 芝生敷きですが段差はありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 他の御嶽と違って芝生敷きは目新しさを感じました。
クチコミ投稿日:2016/07/20
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