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沖縄県営平和祈念公園

公園・植物園

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碑文に終わらない戦争を窺い知ることができます。

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/04(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

摩文仁の丘慰霊碑群の頂上付近にある?樺太の碑?は、樺太ご出身の沖縄戦戦没者2,000余名を祀って昭和62(1987)年7月に建立されました。

樺太ご出身者は北海道旭川にて設立された第24師団第89連隊やその他部隊に配属されますが、多くは史上稀に見る地上戦が行われた沖縄の地で玉砕されました。都道府県別慰霊塔として北海道の?北霊碑?は米須霊域に建立はされているものの、樺太所縁の戦没者は合祀されるのかどうかという問題もあったようで、結果として摩文仁の丘に?個人の手?によって建立されました。

決して大きくはなく、また際立った特徴もないためそれ程目立つものではありませんが、この樺太の塔建立碑文にはまだ終わらぬ戦争が書かれていました。戦後40年の月日が過ぎようとする中でやっと建立に至った経緯には、どうしても故郷樺太に慰霊塔を建立できなかったことが書かれています。もうひとつの?熾烈な地上戦?に挙げられる戦後の樺太戦に於いて、樺太島自体がソ連に占領されたことに起因します。つまり故郷がなくなってしまったということになります。

戦争により外地に於いて植民地化支配をしたことは日本軍もやったことには間違いありません。そして敗戦を機に解放され、現在では独立国家となっているのが事実です。しかしこれには過程があり、ポツダム宣言の受諾によって無条件降伏を受け入れた日本は、GHQより植民地支配していた外地の領土の政治的・行政的権限の行使の中止を通告されます。結果として日本の植民地となっていたエリアは解放されるものの、その後昭和27(1952)年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約で?連合国と日本の戦闘状態の終結?と?国民主権の回復?が決定され、同時に?領土の放棄または信託統治への移管?が宣言される中で、講和条約にサインしなかったソ連には講和条約に定める?領土の放棄?が該当しないという説があります。つまり日本は(南)樺太の?全ての権利、権原及び請求権?を放棄したもののそれに対しソ連が?調印しなかったこと?により、所有権そのものが今なお宙に浮いている状態であるという解釈です。

領土問題について今は語る場所ではないので割愛しますが、本来なら故郷に建立されるべき慰霊塔が諸々の理由によって不可能であり、現在の地に決められたとの経緯には、やはり戦争によって翻弄された戦没者が40余年経った建立された時代にも安住の場所が決まらなかった?時代背景?があるように思えました。碑の造りはともかく、今なお続く戦争の影を伝える貴重な慰霊塔ひとつのように思えました。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
平和祈念公園駐車場から徒歩35分。
人混みの少なさ:
5.0
訪れた時間はどなたもいらっしゃいませんでした。
バリアフリー:
4.0
参道は砂利敷きです。
見ごたえ:
5.0
碑文に惹かれました。

クチコミ投稿日:2016/06/13

いいね!:11

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