ひめゆり学徒隊で最も犠牲者を出した場所です。~ひめゆりの塔~
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
-
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄島南部糸満市伊原にあるひめゆりの塔は、先の大戦に於いてひめゆり学徒隊が籠っていた伊原第三外科壕のすぐ脇に建っています。
南風原病院壕を出で南部に撤退して来たひめゆり学徒隊は、この地にある自然壕に分かれて入壕しましたが、この一番目立っていた伊原第三外科壕には引率教師を含め51名が居たとされています。昭和20(1945)6月19日米軍による砲撃を受け壕内で教師と学徒44名、そして壕の外で銃撃を受けた3名が犠牲となりました。
他の壕に比べると大きなものであった第三外科壕は、学徒の中でも配属希望が高かったとされ、最後はジャンケンで決めたとの逸話も残っています。僅かな距離の違いが大きな結果の違いを生んでしまったことには正直やるせない気持ちになります。
戦後娘二人を失った金城和信ご夫妻により、この伊原第三外科壕が見つけられ、アメリカ統治下の物資のない時代に作られた小さな石柱こそが初代ひめゆりの塔になります。
現在では観光客の一大立ち寄りスポットになっているひめゆりの塔ですが、壕後方に聳える慰霊塔のことだと勘違いされている方が多いのも事実です。闇雲に戦跡を観光地化することには是非論はあるかと思います。しかし付近の土産物屋が駐車場を提供する代わりに客寄せ行為をすることも、ある程度はギブアンドテイクがあるとして、度を過ぎると逆に必要ないところまでの減点を導いてしまうリスクも少しは考えてもらいたいようにも思います。
多くの人々が訪れるから幸せであるとは限りません。戦跡は訪れる方がいかに建設的な考えを持ってくれるか・・・、そう見守っているように思えてなりません。
- 施設の満足度
-
5.0
クチコミ投稿日:2016/03/21
いいね!:5票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する