旧制私立開南中学校の学徒によって構成されました。~開南健児之塔~
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
昭和11(1936)年4月、那覇市樋川付近に開校した開南中学は、県内4つの旧制中学のうちで唯一の私立中学校でした。昭和19年半ばに学び舎が沖縄陸軍病院として徴用され、十・十空襲で全焼。戦後復興することもなく廃校となりました。
実数は不明のようですが、開南中学からは約70名の学徒兵が従軍し、第62師団独立歩兵第64旅団独立歩兵第23大隊に6名、第24師団司令部(通信関係)62名が配属となりますが独立歩兵第23大隊は嘉数・前田・津嘉山の戦いで玉砕、第24師団司令部も宇江城で全滅することになります。非常なまでの消耗戦を強いられた開南学徒の戦死者は実に90%にも上るという説まであります。
学び舎は消えたものの同窓生の手によって昭和46(1971)年5月にこの開南健児之塔が建立されました。その後犠牲者の記銘板が2回架け替えられ現在に至っています。同じ米須霊域にあり慰霊碑ではあるものの知名度によって訪れる方の数が違うことを特に残念に思った今回の訪問でした。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 米須(西)交差点より車で7分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の昼間では誰もおられませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 慰霊碑へは段差があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 多くの名前が記銘されているゆえ寂しさを感じます。
クチコミ投稿日:2016/03/08
いいね!:9票
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