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ひめゆり学徒散華の跡

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岩陰に一筋の黒髪 乙女らの自決の地なり 波もとどろに~荒崎海岸ひめゆり学徒散華の跡~

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/03(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

昭和20(1945)年6月19日第32軍司令部の学徒隊解散命令を受け、山城陸軍病院壕を出たひめゆり学徒やその引率教諭、将兵の20余名は砲弾が飛び交う中この荒崎海岸へとやってきました。しかしその岩場の先には海を埋めつくす数の米軍戦艦が駐留し、先にも進めず後ろにも戻れない状況下で岩陰に身を潜めていました。そこにやって来た米兵の投降を呼び掛ける勧告にも耳を貸す余裕もなかったようです。手榴弾を投げようとした兵士は撃たれて負傷、十分とはとても言えない岩陰おも取り囲まれてしまいます。そして米兵による機銃掃射の結果その場はパニックとなり、銃弾に倒れる者、手榴弾で自決を図る者と修羅場と化します。結果県立第一高等女学校教師3名、生徒8名、卒業生1名と高等師範学校女子部生徒3名、県立第二高等女学校生徒1名が犠牲となり、助かったのは手榴弾を米兵に取り上げられた2名だけだったそうです。

当初は姫百合学徒散華之塔が岩の上に立てられていたそうですが強い波風の影響で倒壊し、昭和47(1972)年8月15日に再建された?碑?が岩肌に埋め込まれて現在に至っています。

数年前の遺骨収集の際に、付近から20余名の遺骨と第一高等女学校の校章が発見されています。山城の壕を出る時に制服を着て出発された乙女たちが、どのような気持ちでこの荒崎の地で亡くなったのかは今となっては知る由もありません。波風はそのときと変わらず激しいものだとは思うものの、遠景に平和祈念堂が見えている今の景色にふと平和だなと呟いてしまいました。

この?ひめゆり学徒散華の跡?への行き方がややこしい道の方を書かれているようなので訂正します。米須(西)交差点より魂魄之塔を経て平和創造の森公園へと向かいます。東京之塔がありますので、その前の駐車場から平和創造の森公園の外周道路を進んで行くと、道が大きく右に曲がっているためそれを左折します。?資材置場・駐車禁止?と書かれている未舗装の砂利道をしばらく走ると?ひめゆり学徒散華の跡(荒崎海岸)?と書かれている看板があります。ここから歩いて10分程ですが、一部岩場に切られた階段とモルタルを流し込んだだけの岩場の道を歩かないとならないため、サンダル履きでは危険なところもあります。通路自体は参拝者が残した?土?が点々と残っているため迷うことはありません。なお砂利道は多分地元の業者さんが埋めてくれているところはあるものの、自転車ではパンクの可能性があり、お勧めは致しません。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
ひめゆりの塔から車と徒歩で30分位かかります。
人混みの少なさ:
5.0
参拝者には出会いませんでした。
バリアフリー:
3.0
無理です。
見ごたえ:
5.0
乙女たちはなにを想いなにを考えたのか・・・心が洗われました。

クチコミ投稿日:2016/03/08

いいね!:10

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