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武蔵坊弁慶の生誕の地

  • 2.5
  • 旅行時期:2016/02(約10年前)
紅冠鳥さん

by 紅冠鳥さん(男性)

紀伊田辺 クチコミ:1件

弁慶が立ち往生したのは、衣川の戦いで、義経を、お堂にかくまって、その入口を守るために、全身に矢を浴びたとということになっている。そしてそれが立ち往生の由来となっているのだ。もし、検視官がいたとしたら、突然死(ショック死)による急激な死後硬直として処理されていただろう。(そうなると、面白くもおかしくもない。)そして、弁慶の墓は、岩手県の平泉にある。

  この弁慶の生まれ故郷をどのくらいの人が知っているのだろうか。和歌山県田辺市が、この弁慶の生誕の地ということで、町興しを図っているのだ。

 この武蔵坊弁慶の父は、湛増(たんぞう)であり、当時大納言の姫を強奪して、弁慶を産んだという。18ヶ月も母親の胎内にいたのであり、生まれた時は、2~3歳の体つきであり、奥歯も前歯も生えていたというのだからすごい。(どこまで本当なのかね。)

 源平の戦いの真っ盛りで、壇ノ浦の戦いの直前だが、平家も源氏も熊野水軍の力を借りるためにその総まとめをやっていた湛増に、応援をそれぞれ頼んだのである。弁慶は、義経の命を受け、湛増をげんじの応援のために、説得に向かいそれに成功したのだ。そして、それが神のご加護であることを確認するために、赤い鶏と、白い鶏を七羽ずつ戦わせて、源氏への応援が間違いないと確信を得たようだ。当然の事ながら、壇ノ浦の戦いは、源氏の勝利となって、鎌倉時代へと、連なるわけだ。


 その湛増ゆかりの場所が「闘鶏神社」なのだ。ここで、闘鶏が行われたと言われているのだ。早速行ってみた。鳥居をくぐると、すぐに弁慶と湛増の像があった。今では、交通安全を願うところとしての本殿を参拝した。鳥居を出たところが、万福院となっており、弁慶生誕の碑があった。

大して見るものはないものの、一度は行ってみるのもまた悪くなさそうである。

施設の満足度

2.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.5
バリアフリー:
2.0
見ごたえ:
1.5

クチコミ投稿日:2016/02/22

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