”記録”に残る剣豪
- 3.5
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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by T04さん(非公開)
上野・御徒町 クチコミ:41件
「不忍池」、その「弁天堂」の裏手に「幕末之剣豪 櫛淵虚沖軒之碑」と刻まれた新しい碑(側面には昭和53年7月吉日とあります)と、その傍らには古そうな碑が建てられています。”剣豪”なんて、今時久しぶりに見聞きする言葉です。伝説や演義の世界には多くの剣豪達の姿がありますが、実際の歴史に記録されている剣豪って本当に少ないと思います。あの宮本武蔵だって、その実像は曖昧ですものね。そんな中、ここ上野不忍池に堂々と建つ碑を見れば、誰でも「少し調べて見るか」という気にさせます。活躍したのは寛政~文政時代。今や大河ドラマ「真田丸」でブームになりつつある真田家に所縁のある沼田藩出身で、多くの流派を学んで剣の道を修めた人物だそうですね。その後、江戸に出て御徒町に道場を開き、一橋家の剣術指南役となり、徳川将軍家直々の護衛役をつとめたことが江戸幕府との関係を強めたことが「寛永寺」境内に碑を建立することを許可された理由なのかもしれません。また道場に学ぶ門弟が多数にのぼったことは、その腕前だけでなく、櫛淵さんがかなりのカリスマ性をも持ち合わせた剣豪であったことを示しているようです。ただ、”幕末”と言うのは一般的にペリー来航に始まる時代を指しますから、この櫛淵さんの時代を幕末とするのには無理があると思います。さて古そうな方の碑が本来の碑で、建立者は櫛節さんの門弟の一人で、こちらは正真正銘幕末まで活躍した兵学者清水赤城さんということでした。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 「不忍池」の「弁天島」裏手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- チラ見するだけの人がほとんどだと思います
- 見ごたえ:
- 3.5
- ”伝説”ではなく”記録”に残る剣豪の碑、建立者もなかなかの大物です
クチコミ投稿日:2016/01/30
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