5世紀の高床式倉庫群からなる遺跡
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by はまちゃんさん(男性)
大阪城・京橋 クチコミ:62件
地下鉄谷町線谷町四丁目駅から歩いてすぐのところにあります。難波宮より100年以上も前、5世紀の高床式倉庫群からなる遺跡です。発見された倉庫跡のうち1棟が復元されていて、構造がわかる1/20の模型も展示されています。直ぐそばに大阪歴史博物館があるので、あわせて観て周ればよいでしょう。
現地にあった説明板の内容を参考までに下記に示します。
【説明板に記載された内容】
瀬戸内海の水運により大陸と結び、淀川や大和川をさかのぼって古代の政治の中心である大和や河内に直結する難波は、交通の要地でした。その中心である上町台地の北端にあたるこの地から、1987(昭和62)年に行なわれた発掘調査で5世紀後半頃の巨大な建物群が発見されました。16棟以上の高床建物が整然と建てられており、1棟あたりの規模は桁行(幅)が約10m、梁行(奥行き)は約9mです。面積は約90?と、当時としては極めて大規模な建物でした。柱配置の特徴から、屋根の形は入母屋造りになると思われます。
建物群は東西方向に棟を揃え、厳密な計画のもとに建てられていました。百舌鳥や古市に巨大な古墳を築いた大王が、強大な権力を内外に誇示するためにつくったものと思われます。6〜7世紀には、この付近一帯にたくさんの建物が建てられるようになります。難波津と呼ばれる港を中心として、このあたりは物資の一大集散地として発達しました。また中国や朝鮮からの外交使節を迎えたり、遣隋使や遣唐使が発着するなど、海外に開かれた玄関として古代史上に重要な位置を占めました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/09/06
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