江戸末期土佐藩が江戸屋敷を構えていたことが偲ばれます
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- 旅行時期:2015/09(約11年前)
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by かつのすけさん(男性)
築地 クチコミ:7件
土佐藩居留地は、新富町駅周辺の現在り中央区や区所周辺でした。この地は、江戸時代前期に埋立てられ、武家地や町人地となりました。文政九年(1826)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にしていたようで、幕末までこの地にありました。
土佐藩は初代山内一豊から十六代豊範まで続きました。幕末の変革期に有名な山内豊信(容堂)は十五代で、ここに屋敷を構えていたときに藩主でした。
豊信は、安政五年(1858)の条約勅許や将軍の継嗣問題において、一橋慶喜(後の十五代将軍)を擁立する一橋派に協力しましたが、家茂(後の十四代将軍)を推す大老井伊直弼に敗北し、豊信は藩主を退きました。この後、井伊直弼が暗殺されるなど、政情は混乱していきます。そのような中で、豊信率いる土佐藩は、幕府に大政奉還を働きかけてこれを実現し、後の版籍奉還、廃藩置県に至るまで、薩摩藩、長州藩と並んで明治維新の先頭に立っていました。
現在、この地が土佐藩の居留地でたあったとを記しているのは、中央区役所横の看板のみで、通り過ぎてはまいそうですが、幕末にかけての騒乱の時代に土佐藩がこの地で、将来の日本を見据えていたと思うと、感慨深いものがあります。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 新富町駅から徒歩3分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見過ごしてしまうような掲示板があるのみで、人混みは気になりません
- バリアフリー:
- 3.5
- 歩道に段差があります
- 見ごたえ:
- 3.0
- かって土佐藩の屋敷跡だったことが記された掲示板のみです
クチコミ投稿日:2015/09/05
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