日本陸軍の創始者
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
山口市 クチコミ:8件
鋳銭司村の村医の長男として生まれる。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵、のちに益次郎。1842年梅田幽斎に医学と蘭学を学び、翌年彼の勧めで豊後国日田に向かい、広瀬淡窓の咸宜園で漢籍・算術などを学ぶ。1846年には大坂に出て、緒方洪庵の適塾で学ぶ。1850年に帰郷し、村医となって村田良庵と名乗った。
その後宇和島藩に招かれ、西洋兵学や蘭学の講義と翻訳を手がけ、宇和島城北部に樺崎砲台を築く。二宮敬作から師シーボルトの娘楠本イネを託され、蘭学を教える。
1869年京都の旅館で襲撃され、大坂の病院で死去。なおここで楠本イネが、益次郎の最期を看取っている。
長州征伐と戊辰戦争では長州藩を指揮した。兵部省の初代大輔を務め、日本陸軍の創始者と見なされている。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/07/23
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