馬関戦争で長州大敗
- 4.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
下関 クチコミ:30件
毛利綱元が元禄年間に、海峡を望む景勝地である前田に御茶屋を造ったが、幕末には撤去され、攘夷のための砲台が築かれた。
長州藩は1863年、フランス軍の攻撃を受けた。前田砲台は当時は低台場だけで、フランス軍は前田に上陸すると砲台を破壊した。
その後、奇兵隊により低台場の補修と高台場の急造が行われた。
1864年には、四国連合艦隊の攻撃を受けた。大砲は持ち去られ、前田集落は焼き払われた。長州の死者は31人だったが、そのうち武士は5人しかいなかった。
馬関戦争に敗れた長州藩は、攘夷が不可能なことを思い知り、攘夷から開国・倒幕へと藩論を大きく転換することになる。
フランス軍に接収された大砲のうち1門は、アンバリット軍事博物館の厚意により、下関市立長府博物館に永久貸与の形で展示されている。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 人はいない
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/07/13
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