石田三成の居城
- 5.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
彦根 クチコミ:2件
鎌倉時代の建久年間に、佐保時綱が築いた砦が始まりとされる。室町時代の応仁年間には六角氏家臣の小川祐忠が在城したが、戦国時代後期には六角氏は衰え、浅井氏家臣の磯野員昌が入った。1571年に落城し、織田氏家臣の丹羽長秀が入った。
1582年、本能寺の変の後に行われた清洲会議の結果、明智討伐に功があった堀秀政が入り、1585年には堀尾吉晴が入城。1590年には石田三成が城主となり、荒廃していた佐和山城を改修して、山頂に五層の天守がそびえ立つ近世城郭を築き「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われた。
1600年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、三成の本拠地佐和山城を攻撃した。石田軍の主力は関ヶ原に出陣しており、城を守っていたのは父正継以下わずか2800人だった。城兵は少数ながら奮闘したが、戦場から逃亡した三成が到着することなく落城し、石田一族はことごとく自害して果てた。徳川方の兵士は「栄華を極めた三成はさぞ華美を尽くしたのだろう」と思い、我先にと城内に乱入したが、城は何の装飾もない質素な作りであり、石田屋敷には金目の物もなく、秀吉から送られた感謝状だけがあったという。
その後は井伊直政が入城したが、三成の居城を嫌い彦根城を新たに築き、佐和山城は廃城となった。佐和山城跡の用材は、彦根城を築くためあらかた持ち出された。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 登山口へ彦根駅から徒歩13分
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 山道かつ道幅狭い
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/06/20
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