藤原泰衡最期の地
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
大館 クチコミ:4件
この地に伝わる口承によると、自分がいることで迷惑がかかると考えた藤原泰衡は、贄の柵を出て犀川を越え、河原で自害したという。
泰衡の首は頼朝に陵辱されたが、首のない泰衡の死体は、里人が錦の直垂に包んでこの地に懇ろに葬ったという。その墓は「にしき様」と呼ばれ、後に錦神社となり、今に至っている。
泰衡の死から800年以上経った今も、泰衡の命日である旧暦9月3日には祭りが催されている。
江戸時代の学者菅江真澄は1803年にこの地を訪れ、錦神社にまつわる村人たちの心やさしいはからいと、泰衡の命日にちなむ行事を「贄能辞賀楽美(にえのしがらみ)」という紀行文に書き残した。泰衡が頼みにしていた家臣に裏切られ、露のように命を散らせたことを偲び「たのみつるその木のもとも吹風の あらきにつゆの身やけたれけむ」という歌を詠んでいる。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 扇田駅徒歩15分
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/13
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