本能寺の変の前日に落城
- 4.5
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
魚津 クチコミ:2件
1335年、椎名孫八入道によって築城されたと伝わる。椎名康胤は戦国時代に上杉氏に背いたため、成敗され、以後上杉氏の越中における拠点となった。
魚津城は1582年、織田軍に包囲されたが、織田軍は信濃・上野方面から春日山城を攻撃する態勢を見せたため、上杉景勝は魚津城に援軍を送れなかった。そのため魚津城の上杉軍は6月3日、落城は不可避とみて山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資・吉江資堅・寺島長資・蓼沼泰重・安部政吉・石口広宗・若林家長・亀田長乗・藤丸勝俊・中条景泰・竹俣慶綱の守将13人が自刃し、城は落ちた。
ところがその前日、織田信長は本能寺で自刃していた。この知らせを聞いた織田軍はすぐに撤退したため、魚津城は再び上杉軍が奪回した。その後1583年に佐々成政が侵攻すると、城将須田満親は降伏して開城し、上杉氏の支配は終わった。成政の転封後は前田氏のものとなったが、元和の一国一城令により廃城となったとみられる。
現在は大町小学校で、遺構は残っていない。
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/02/14
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する