1843年の大軍事演習の地へ行ってみました。
- 2.5
- 旅行時期:2014/07(約10年前)
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by 風待人さん(男性)
萩 クチコミ:217件
集団的自衛権問題で戦争や平和が議論されていますが、江戸時代の日本は表向きは平和ながら江戸幕府に押さえつけられた各藩はあわよくば幕府転覆を狙って秘密裏に軍備を蓄えていました。
平和ボケ日本人と言われる現代とは異なり、各藩はやるかやられるかの戦争を想定してそれ相応の訓練もしていたようです。
毛利藩は萩藩の財政再建にも尽力した村田清風の進言で羽賀台で3万5千の藩兵と1300頭の馬を用いて大軍事演習を開いたとの記述が残っています。
その羽賀台には『天保閲兵の地』の碑があるとのことで見に行くことにしました。
この羽賀台、今は産業廃棄物処分場建設問題で10年近く地元を中心に反対運動が起きている地でも有ります。
実際、天保閲兵の地を案内する看板の付近にも産廃場反対の看板が多く見受けられました。
山口県道11号萩篠生線を山口方面に走り、道沿いの看板を目印に曲がり数百メートル入ると山に入る道を案内されます。
道は普通車が1台通れるくらいのやや細い道。
山道をうねうねと曲がりくねりながら登ると急に視界が開けてきます。
そして小さな交差点に出ますがどちらへ行けばいいか別段案内がありません。
それならと直進したのですが何とその先はあぜ道になり引き返すことに。
そこで再度、交差点を進行方向、右手に曲がってみました。
その先の右手の田んぼに看板が現れました。
この先700mと書かれていました。
その先を進んでみますが、イノシシ避けの柵があり車での進入は断念して徒歩で進みます。
やぶ蚊や蜘蛛の巣、虫や背丈の高い草が多いので長袖、長めのパンツスタイル、帽子、トレッキングシューズまたは、履き慣れたスニーカーは必須です。
やっと到着した彼の地は700mとありましたが地面が凸凹で上り道のせいか道のりが長く感じました。
周りには夏草が茂っていてまるで兵どもが夢の跡みたいです。
石碑がある以外は特に当時を示すものは何もなく。
この辺りの台地が軍事演習に使われたと言ってもああそうかと納得するくらいですが、江戸時代にもっと悪かったであろう交通事情や道のりを考えると本気の訓練だったんだろうなと推測できます。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 途中からは徒歩で山道を進まなければなりません。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- まず人はいないので混んでいません。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 辿り着いてみてまあこんなものかなと思う程度です。
クチコミ投稿日:2015/01/22
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