B29により壊滅した街
- 2.5
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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by しそまきりんごさん(男性)
平塚・大磯 クチコミ:43件
平塚駅や市役所などの辺りからは西側にあります。
しかし、平塚宿は太平洋戦争末期、B29の爆撃により壊滅した街。また、その後の街区整理で宿場の街並みは完全に失われているそうです。京方見附などは、各種資料などから、だいたいこのあたりにあったであろうと推定する始末です。
宿場には、見附、高札場、本陣、脇本陣などの要素がありますが、平塚宿では、いずれも道路脇に標柱が立つのみ、そのほか、案内板やモニュメントなどがあります。
宿場の東側の入口、江戸見附のところには、平塚宿の史跡などを示す見やすい地図案内板がありました。
本陣は各見附の中間あたり、神奈川銀行が建っていて、標柱と記念碑が立っています。安藤広重の東海道五十三次の平塚宿の絵のモニュメントもありましたが、道路からは高い建物が建っていて、なかなか絵のようには見えないです。
特に富士山は天気の良い空気の澄んでいる日でないと見えにくいですが、平塚駅を小田原方面に出た東海道線の先頭車両から、偶然にも同じ構図を見ることができました。絵の富士山は誇張ではなく、本当に高麗山の横にちょこんと見えました。
平塚宿では、そのほか宿場ゆかりの寺社などもあり、平塚の地名の由来となった塚もあるので、歴史に造詣のある方は訪れてみてもよいと思います。いずれも素朴な見所です。
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 1.5
クチコミ投稿日:2015/01/08
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