上野戦争で寛永寺が焼失した跡地の上野公園
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- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:29件
上野は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれていたが江戸時代に伊賀上野の大名・藤堂高虎(とうどう たかとら1556−1630年)の屋敷が建てられたことから「上野」と呼ばれるようになったと言われている。また徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町になったが1868年に新政府軍と彰義隊による上野戦争で寛永寺が焼失、跡地が上野公園となっている。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/08/04
いいね!:3票
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