八幡堀を開削した秀次はやはり只者ではなかった
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by モッサンさん(男性)
近江八幡・安土 クチコミ:7件
八幡掘界隈も今では滋賀県の主要な観光スポットの一つであり、多くの観光客でにぎわっている。八幡堀は秀吉の甥であり、関白にまで登り詰めながら、秀吉から死を賜ったとされる?秀次が開削した運河である。八幡山城、その城下町の形成と併せて、この運河により琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄港させることにより人、物、情報を集めたといわれている。この運河は現在でも琵琶湖とつながっているが、高度成長期に入った昭和30年代にはゴミ捨て場と化し、ヘドロも堆積し、衛生的観点から埋め立てられる所までいっていたのを住民運動によって撤回され、今日の姿があるとのことである。秀次の八幡山城在城は僅か5年と短いが、信長の楽市楽座と呼ばれる自由商業主義を導入発展させたことから、商工業が発達し近江商人発祥の地にもなった。このことが現在でも八幡堀界隈に近江商人の遺した遺産があちこちにあって1992年の重要伝統的建造物群保存地区としての指定にも繋がっている。秀次の自害の原因にはいろいろ言われているものの、秀次がいなければ現在の近江八幡もどんな姿になっていたのかと思うと、やはり秀次は只者ではなかったという思いを強くする。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2014/06/20
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