なぜ敢えて八幡山に城を築いたのか気になるところ
- 3.5
- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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by モッサンさん(男性)
近江八幡・安土 クチコミ:7件
標高は285mだが険しい八幡山の山頂にある。秀吉の甥の秀次が城を開いたという言い方がされることが多いが、秀次が入城したのは18歳の時であり、安土城に替わる近江国の城として秀吉自身が普請したというのが正確である。不思議なのは何故敢えて八幡山を選んだのかということである。実際、八幡城築城当時は東西に琵琶湖の内湖があり、南の平野部に城下町を配した水城としての縄張りは安土城によく似ているし、城下町には安土から住民を移住させてもいる。山頂へは八幡山ロープウェイを利用するしかなく、山頂の二の丸跡にロープウェイの八幡城址駅があり、展望資料館も設けられている。展望館の2階に関連資料が展示されているが内容的に余り興味が惹かれるものではない。二の丸跡からは城下町方向の眺望、西の丸跡からは琵琶湖方向の眺望が楽しめるものの、概して城跡の整備が余りなされておらず(手つかず?)、せっかくの遺跡が活かされてないこともあって、ロープウェイで登った割には物足りない感じだけが強く残る。なお山頂側とは別に南山麓側に秀次居館の跡地がある。秀次が八幡山城に在城したのはわずか5年であるがこの間に八幡堀を開削し、信長の楽市楽座をさらに発展させ近江商人発祥の地としての基盤を築いたあたりはやはり並の人物ではなかったのだろう。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/06/15
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