かつては琵琶湖の内湖に囲まれた水城だった。
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- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by モッサンさん(男性)
近江八幡・安土 クチコミ:7件
琵琶湖の周囲には戦国時代に築城された水城(河川、湖、沼、湿地帯、海等を利用して設計された城)が多い。信長が築城した(させた)城として長浜城、大溝城、安土城、坂本城は全て琵琶湖岸にある水城である。安土城は琵琶湖東岸に近い標高198mの安土山に築かれた天下統一の拠点であり、琵琶湖支配の拠点でもあったとされている。現在の安土山の状況からはうかがい知れないが、かつては伊庭内湖、安土内湖、西ノ湖に囲まれ、更にその北側に諏訪湖よりも大きな琵琶湖の内湖最大の大中の湖があった。琵琶湖周辺に点在している湖沼を内湖と呼ぶが、もともと琵琶湖の一部であったものが流入土砂等により派生的に生まれたものである。明治から昭和の初期にかけて琵琶湖周辺に大小40余りの内湖が存在していたが第二次世界大戦前後の食糧増産等の目的で干拓が進められた結果、大幅に姿を消している。現在の安土山でいえば周囲には西ノ湖と伊庭内湖の一部が残っているにすぎない。安土城跡はこれまでの発掘調査により色々な事実がわかってきているが、安土城はそれまでの中世城郭とは異なり全山が石垣で囲まれ、高層の天主を持ち、中心部の建物の屋根には瓦が葺かれるという近世城郭の先駆けとなった城である。城跡を見て回るだけでも時間はかかるが、安土城のイメージを理解するにはJR安土駅前にある安土城郭資料館、文芸の郷にある安土城天主信長の館、県立安土城考古博物館には是非足を伸ばしてみるべきである。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 4.0
- 予備知識があるほど見ごたえが増えます。
クチコミ投稿日:2014/04/25
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