真田昌幸、信之、幸村、真田三代の郷信州上田…真田氏から今に伝わる上田城 というパンフで上田城跡公園に
- 5.0
- 旅行時期:2014/04(約10年前)
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by satom4traさん(男性)
上田 クチコミ:2件
徳川の大軍を二度にわたり撃退し、更に明らかに勝ち目のない大阪冬の陣、夏の陣で大活躍した幸村の人気に魅かれてこの地に来たことがある。
真田昌幸が上田城を築き始めたのは、天正11年(1583)、越後の上杉景勝、関東の徳川家康の勢力下で、家康に臣属していた昌幸は、家康の援助を受けて上田城の築城をする。
しかし、豊臣秀吉に対し、小田原の北条氏直と手を組もうとする徳川家康から、沼田領を北条方に譲るように命じられた昌幸は、これを拒絶します。徳川と断交した昌幸2000で7000人余の徳川軍を撃退。
関ケ原の戦いが起こり、昌幸と次男の幸村は西軍に、長男の信之は徳川方の東軍にどちらに転んでも真田家が残るように。
昌幸と幸村は上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対し2500人で、徳川秀忠軍は7日間上田に釘づけとなり、関ケ原での決戦に間に合わなかった。徳川方に接収された上田城は一度破壊され、仙石氏が復活。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.5
- 市の観光課が積極的にPRをしている
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 櫻の時期は特別
- 見ごたえ:
- 3.5
- 二度目の訪問だが普段は静かで、桜の時期は初めて
クチコミ投稿日:2014/04/16
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