名前とは反対の言い伝えがある橋
- 3.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by すぶたさん(女性)
ミナミ(難波・天王寺) クチコミ:345件
最初にかけられた1680年頃は「中橋」、「新中橋」と呼ばれていました。
いつ頃から「相合橋」の名前になったかは不明です。
現在の名称の読み方は、3通りあります。
・「あいおうばし」
・「あいおいばし」
・「あいあいばし」
近松門左衛門の浄瑠璃『心中重井筒』の一節にも中橋として登場しています。
土木学会浪速支部によって「浪速の名橋50選」に選定されています。
江戸時代から明治時代は北詰は色町、南詰は芝居町となっていました。
明治以降には、渡ると男女の縁が切れる「縁切り橋」との風評がたちました。
婚礼の行列も相合橋を渡らなかったと伝わっています。
遊女もこの橋を避けていたそうです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 地下鉄日本橋駅が近い
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 少ない
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/03/11
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