平安中期の歌人、能因奉仕の墓といわれています
- 3.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by すぶたさん(女性)
高槻・島本 クチコミ:405件
小倉百人一首
あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
69番:「後拾遺集」秋・366
上記の歌が載っている平安中期の僧侶、歌人の墓といわれています。
左側にある立派な顕彰碑は高槻城主・永井直清が建立しました。
碑文は儒学者の林羅山が書きました。
周辺には能員の吟稿を埋めたとされる文塚もあります。
この辺りは道が狭く、入り組んでいます。
詳細な地図を持っていきましょう。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- JR高槻駅からバス&徒歩
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/03/02
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