川之江城 天守閣は1984年ごろから川之江市制施行30周年記念事業で再建
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- 旅行時期:2013/11(約11年前)
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by higashimachiさん(男性)
四国中央 クチコミ:40件
川之江城址は天守閣のない城山公園だけでしたが、1984年ごろから川之江市制施行30周年記念事業の一環として城山公園整備事業(川之江城復元募金委員会 会長 高原勇太郎氏・・・ユニチャーム創業者の父親)が開始され、本丸跡に天守・涼櫓・櫓門・隅櫓などが設置されました。
川之江城に姫ヶ嶽という史跡があります。
天正10年(1582)6月10日、川之江城主河上但馬守が三島宮に詣でての帰途、村松字崩の松原において、謀臣秋山嘉兵衛のために誘殺され、城は秋山の内通により轟城主大西備中守の急襲をうけて、落城するに至りました。
このとき、但馬守の息女・年姫は横死の父のあとを追って、この断崖より燧灘に身を躍らして、はかなくも花の生涯を閉じたといわれています。
落城の悲話として、今に伝えて、ここを「姫が嶽」といいます。
「姫が嶽」には与謝野晶子の句が添えられています。
姫ヶ嶽
海に身投ぐる
いや果ても
うまして入りぬ
大名の娘は
与謝野晶子
年姫さんの遺体は姫浜(香川県観音寺市豊浜町姫浜・・豊浜町は故 内閣総理大臣 大平正芳氏の故郷)に打上げられましたが地元の人に手厚く葬られたと伝えられています。
潮の流れで川之江から豊浜まで流されたのですね。
昭和9年3月ごろの話で、同じように川之江港手前で遭難した船の漁師が姫浜に打上げられたことがあります。
私の祖母の実家が漁師の網元でした。
漁船が川之江港近くに帰ってきているが、春の嵐(※ヤマジ風)で波が高く港に入れません。
灯台より助け網を投げますが、波にさらわれ船に届かず船は遭難してしまいました。
助かった漁師は一人だったそうです。
数日後、姫浜に遺体が打ち上げられたということです。
投稿写真の川之江城主河上但馬守終焉の地は現在四国中央市紙屋町、国道11号線北側に川上但馬守遺跡として祀られています。
なお、境内の説明文に不適切な文言がありますが、昔から地元では慣れ親しまれていますのでご容赦下さい。
※やまじ風(やまじかぜ)(ウィキペディアより引用)
愛媛県東部の四国中央市一帯や新居浜市でみられる南よりの強風のこと。春や秋に多い。日本三大局地風の一つ。
その原理は、低気圧の中心が日本海を通過する際に、四国山地に南から吹き付けた強風が、石鎚山系と剣山系の間の鞍部になっている法皇山脈に収束し、その北側の急斜面を一気に吹き降りることにより発生する。
特に、台風が日本海を通過する時には最大風速30~40m/sもの猛烈な突風となり、コンクリートの電柱がなぎ倒されたことすらある。1993年6月2日のやまじ風では、男性1人が倒れた電柱の下敷きになって死亡した。
1991年の台風19号のさいには、非公式記録ながら旧伊予三島市の翠波高原で最大瞬間風速73.2m/sもの強烈なやまじ風が観測されている。(ウィキペディアより引用)
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クチコミ投稿日:2013/11/18
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