成田山不動尊の畠山 義豊(はたけやま よしとよ、生年不明−1499年)の墓
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- 旅行時期:2013/07(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:187件
成田山大阪別院明王院(なりたさんおおさかべついんみょうおういん)には日本で初めての交通安全祈願専用のお堂・祈祷殿があり、一度に100台の車の祈祷ができる根本道場として威容を誇っている。成田山明王院のある香里園は大阪の鬼門の方角にあたり大阪守護の願いも込められている。
畠山 義豊(はたけやま よしとよ、生年不明−1499年)は、戦国時代初期の武将で守護大名。室町時代に起こった応仁の乱(1467−1477年)が終結した後も畠山氏の内紛は続き義就(よしなり)の子義豊(よしとよ=基家)は河内正覚寺城(かわちしょうがくじじょう)に政長(まさなが)を攻め自刃させたがその子尚順(ひさのぶ)に1499年に攻められて伴抜庄(ともぬきのしょう=十七箇所)で敗死した、と『応仁後記』にある。
この義豊墓と伝えられている五輪塔は1948年、現在地から西北数百メートルのところで発見され成田山不動尊の客殿の庭園に置かれていたが1980年、今の地に新たな基壇(きだん)を設けて安置されるようになったそうだ。
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/09/25
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