赤い欄干の小さなはりまや橋は南国情緒が豊かな高知ならではの見ごたえがありました。
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
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by オータムリーフさん(男性)
高知市 クチコミ:3件
歌謡曲「南国土佐を後にして」 がヒットしたことで、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として、全国に知られるようになりました。
ここに架かる木造りの橋は平成5年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を素に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。
ネットで見ていると、日本三大がっかりとしてはりまや橋を挙げている人もいました。
「坊さんかんざし買うをみた、ヨサコイヨサコイ」とヨサコイ節に歌われた意味が良くわからなかったが、今回の旅行で、その意味を理解することが出来ました。それは純信とお馬の恋物語として伝えられている。
時代は安政2年(1855)と伝えられている。修行僧が恋に落ち、恋人に「かんざし」を買い与えるなど考えられない時代であった。純信・お馬の恋物語りには、様々な説が伝えられている。はじめは幡多郡柏島の護念寺僧慶全が竹林寺に修行に訪れた時にお馬をみそめ恋心を抱いた。お馬の感心を引くために、はりまや橋の小間物屋で「かんざし」を買い与えたが、お馬の心は純信にあったため、慶全は傷心から純信を陥れるために「かんざしを買うたのは純信」であると噂を流したのが事の発端だとか。噂は走る・・・
よさこい節にも歌われ、純信とお馬は駆け落ちを決意。この時、純信37歳 お馬17歳しかし、追っ手に見つかり高知城下に連れ戻された。関所破りは御法度の時代。二人は繋がれ、3日間さらし者にされた。純信は国外(土佐藩以外へ)に追放され伊予の國川之江へ。お馬も須崎へと引き離された。その後、二人は別々に結婚し人生を終えた。と言うお話です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 高知市内の中心にあり便利です
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 商店街のそばであり、人ごみは避けられない
- バリアフリー:
- 2.0
- 少し難しいかもしれません
- 見ごたえ:
- 4.0
- 明治のはりまや橋と現代のはりまや橋も見ごたえ有り
クチコミ投稿日:2013/08/26
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